ヴィリオ・ラティア(Viljo Ratia)は1949年、マリメッコの前進となるオイルクロスとプリントファブリックを製造する「プリンテックス(Printex)社」を1949年に買収。その後、アートディレクターでもあったヴィリオの妻アルミ・ラティア(Armi Ratia)は1951年、プリンテックスに入社しました。
アルミは新しいテキスタイルのデザインを友人の若いデザイナーへ依頼し、その新しいデザインは、大胆な色使いと抽象的なパターンのもので、過去のテキスタイルプリントの伝統を覆すようなものになりました。そのモダンでカラフルなファブリックは人々の注目を浴びたものの、あまりに斬新だったため、その当時、社員はそれをどのように使って良いのか分からず、試行錯誤を重ねました。そこで考え出されたのが、その新しいファブリックを生かすためにファッションを中心とした小さなオリジナルのコレクションを創ることでした。アルミは別会社を立ち上げることを決意し、その会社が『マリメッコ(marimekko)』となりました。
初期のマリメッコのファッションコレクションはリーッタ・インモネン(Riitta Immonen)によってデザインされ、1951年5月ヘルシンキのレストラン「カラスタジャトルパ」でファッションショーが行われました。戦後まだ世の中に色のない時代、その新鮮でカラフルなコレクションは人々の興味を集めました。
マリメッコのオリジナルなデザインと洋服のラインに一番影響を与えたデザイナーは ヴォッコ・ヌルメスニエミ (Vuokko Nurmesniemi)です。彼女は1953年にマリメッコに入社、ファッションとテキスタイルのデザインに携わりました。マリメッコがアート・ファッションカルチャーの一つとしてその名が知られるようになったのはこの時代です。
また、インテリアファブリックでは マイヤ・イソラ (Maija Isola)がトレンドセッターと言える存在でした。彼女は1949年にプリンテックスに入社し、プリントデザインを担当。その後、マリメッコには1987年まで在籍しました。マイヤはファブリックデザインにおける重要な開拓者であり、先駆者でした。
1964年に誕生したUnikko(ウニッコ/ケシの花)は、その中でも最も広く知られたファブリックのデザインです。
1951年 マリメッコ社、正式にFinnish Trade Registerに登録。
1952年 会社が所有する最初の店舗をオープン。
1953年 ヴォッコ・ヌルメスニエミ(Vuokko Nurmesniemi)が、衣服やインテリアのための、ファッション&テキスタイルデザイナーとしてマリメッコに参加。マリメッコのファッションと製品開発の重要な役割を果たしました。1953年、彼女は細く重なり合うストライプの
Piccolo(ピッコロ)をデザインし、それをJokapoika
(ヨカポイカ/全ての少年)シャツとして1956年に発表、今もなお生産されています。ヴォッコは1960年まで、マリメッコに在籍しました。
1954年 コマーシャルアーティスト、ヘルゴ・メテル・ボルグストローム(Helge Mether-Borgström)が、マリメッコ社のロゴをデザイン。
1956年 国外への輸出が始まり、マリメッコのファッションやファブリックが展示された1958年のブリュッセルワールドフェアのフィンランド館や、ストックホルムでの特別展示会で、マリメッコは多くの国際的な関心を得ました。
設立当初から、マリメッコはカラフルなプリントのテキスタイルを作っていました。当時の人々は斬新でユニークなファブリックをどう使って良いか分からなかったため、小さなファッションショーを開くことにしました。初期のマリメッコのファッションはRiitta Immonen(リーッタ・インモネン)がデザインし、最初のコレクションは1951年5月ヘルシンキで発表されました。
ファブリックプリントは1974年まで、主に女性によって手作業で行われていました。