marimekko

Autumn&Winter 2007







  1960年代、マリメッコのビジネスは急速に国際化して、製造する製品の数も多くなり、その独特なライフスタイルで世界的に広く知られることとなりました。 60年代の終りには、経営が困難な状況に陥りましたが、1968年から1971年にかけての大規模な再構成により、その息を吹き返しました。

 

マリメッコが国際的に知られるようになったのは、ジャクリーヌ・ケネディ(Jacqueline Kennedy)がマリメッコのコットンのワンピースを一度に7着も購入した時でした。当時は大統領選挙の最中で、記者はケネディ夫妻の行く先々を追っていたため、ジャクリーヌの購入する洋服までもが新聞の見出しとなり、400にものぼる新聞や雑誌のメディアを通して、マリメッコはアメリカ全土に知れ渡ることとなりました。

 

1960年代はあらゆる意味で成長した時期となりました。マリメッコは世界の流行となり、人々の生活の中に入ってきました。マイヤ・イソラのその頃のテキスタイルデザインは大きなパターンを主とした斬新なものが多く、それは人々を驚かせ、又、独特のセンスを醸し出していました。

アニカ・リマラ

ファッションデザイナー、アニカ・リマラ(Annika Rimala)の洋服のデザインは、その時代を象徴するムーヴメント“ヒッピー”“ポップアート”“モダン建築”“ジャズ”そして、“ロック”などを反映していました。


1960年マリメッコ初の海外店舗をストックホルムにオープン。

1960年  アニカ・リマラ(Annika Rimala)が、ファッションデザイナーとしてマリメッコでのキャリアをスタート。モダンでオリジナリティに富んだ服は、常に世界の最先端ファッション誌のカバーやページで取り上げられました。

Tasaraita

1968年、アニカはマリメッコで最初のジャージの服をデザインし、それは現在もTasaraita(タサライタ)コレクションとして製造されています。彼女は1982年までマリメッコで衣服のデザインを手がけました。


リーサ・スヴァント 脇坂克二

1960年   リーサ・スヴァント(Liisa Suvanto)が、手編みのニットによる彫刻的な服で、マリメッコファッションにニュールックもたらしました。リーサは1975年までマリメッコで活動し、1970年代には、コットンプリントを使った服のデザインでもよく知られています。そのプリントの多くは、日本人デザイナー、脇阪克二によってデザインされたものでした。 脇阪克二は、1968年から1976年の間、そして2001年に、マリメッコで衣服やインテリア用のファブリックをデザインしました。


クリスティーナ・イソラ

1964年  クリスティーナ・イソラ(Kristina Isola)は、母マイヤ・イソラ(Maija Isola)と共にデザインを始めました。現在もマリメッコのためにテキスタイルプリントやインテリアプロダクツのデザインを手がけていますが、同時に、マイヤ・イソラのデザインを引き継ぐ責任者として、マイヤ・イソラのプリントを使った新たな製品開発ための新色の提案作業なども手がけています。


1968年  マリメッコは初のライセンス契約をフィンランドで合意。

ペンッティ・リンタ

1969年  ペンッティ・リンタ(Pentti Rinta)が、ファッションデザイナーとしてマリメッコに参加。大胆な色やパターンの服をデザインするとともに、小さく、やさしいプリントのデイリーウェアとしてのシャツドレスや、単色のユニセックスウェアも手がけました。1972年には、マリメッコの初のメンズスーツ、Kuski(クスキ)をデザインしました。


PETROOLI(石油)

Annika Rimala(アニカ・リマラ)が1963年にデザインしたパターン“PETROOLI(石油)”はリマラがマリメッコで最初に使用したものです。当初は小さなモチーフのプリントをデザインしていましたが、次第に柄のスケールが大きく、色使いが強いものを使用するようになっていきました。

「ELLE」誌

1960年代半ばには、マリメッコの多くのアイテムがヨーロッパのインテリアやファッション誌に掲載されました。1965年には、モデルがマリメッコのシンプルなストライプドレスを着用して「ELLE」誌のカバーを飾り、60・70年代にはマリメッコがクリエイティブなテキスタイルプリントの世界的なリーダーとして、またファッションにおけるトレンドセッターとしての地位を得ていきました。

ACE

Liisa Suvanto(リーサ・スヴァント)の手織りのウールツイルのドレス“ACE”は1967年にデザインされました。スヴァントの生地にはオリエンタルな模様が表現され、色はライトブラウン、ネオンレッドとグリーンのコンビネーションによるもの。マリメッコではエレガントなものをデザインし、プレーンでシンプルなカットのものを多く作りました。これはスヴァントの、「ファッションは着る人の性格やスタイルを引き出すもの」という信念に基づいたものでした。

MANSIKKAVUORET(ストロベリー・ヒルズ)

Maija Isola(マイヤ・イソラ)の1960年代の作品は大胆で装飾的なプリントでマリメッコと一目でわかるデザインでした。マイヤの“MANSIKKAVUORET(ストロベリー・ヒルズ)”は1967年にデザインされたものです


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